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豊国神社(方広寺)   京都市東山区    京阪七条駅歩10分         豊国廟はこちらから
日本全国に5箇所ほどある中の京都にあるもので太閤秀吉公が祭神。秀吉公はこの地に大仏殿を建てたがその跡地である。大仏は奈良のよりも大きかったらしい。秀吉は伏見城で亡くなったが墓地を東山の阿弥陀が峯に作るように命じ埋葬された。葬式は大仏殿・方広寺で行っいその時の武士行列は伏見まで連なっていたとか。翌年山腹の太閤だいらに日本最初の権現造りの社殿が出来、御陽成天皇より「豊国大明神」の神号を賜り神として祀られる。境内の広さは30万坪。しかし後年徳川氏により完全に破壊された。豊臣家が滅びるきっかけがここにあった梵鐘で、家康は彫られた文字に難癖を付けたのである。豊臣氏が滅びると御廟も荒れ果て、250年にわたり参拝もままならず草むらに埋もれたが、明治6年、明治天皇が「秀吉公は天下人になりながらも幕府を作らなかったので功臣である」と云われ、明治13年大仏殿跡地・方広寺に神社は復興され現在に至っている。
                                2007年1月16日


京都国立博物館の隣にある。   

鳥居
車道、歩道に続き階段は5段ほどある。     

参道
正面は唐門。見事なものなり。   

手水舎
左の端の屋根は鐘楼堂。     

大唐門
伏見城から移築。国宝の3唐門のひとつ。   

拝殿・本殿
立入り禁止が惜しい。   

奉納灯篭
家臣が奉納した。左右にある。   

宝物殿
中はまつわる品々の展示である。歯もあった。   

鐘楼
豊臣滅亡の引き金となった梵鐘がある。  

梵鐘・天井画  問題の文字はよく解らなかった。
別の場所にあると聞いたが。   

社務所
   

巨石の石垣
大阪城より運ばれた。当時は築地塀が廻っていた。   


↑は瓢箪を模った絵馬。有名人のも有った。
←の上は御陽成天皇の勅額。寺宝である。
←の下は梵鐘の上に描かれた天井画。