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京都御所 京都市上京区  地下鉄今出川下車 3番出口 すぐ

京都御所は794年、桓武天皇による平安遷都から明治2年の東京遷都まで、1075年もの長い間 皇居であった。歴史にもまれ、その間焼亡と再建を繰り返しつつ1331年、光厳天皇が土御門東洞院殿で即位以来、この里内裏は皇居として定着した。里内裏とはお住まいの内裏が火災や戦乱で使用できなくなった時、代わりに貴族の邸宅を仮皇居としたので里内裏が日常の皇居として使用されたのである。現在の建物は安政2年に再建されたもの。築地塀で囲まれた敷地面積は約11万平方メートルある。
一般公開は年に二度、春と秋に行なわれ、大変賑わう。      04.11.05

乾門
烏丸通りに面して駅からここに来て入る。入ると
右手は旧一条邸跡。砂利道を宜秋門へと歩く。

宜秋門(ぎしゅうもん)
ここが入口である。公家門、唐門とも云われ摂家、
親王、門跡、公家等が用いた。

御車寄
宜秋門を入る公家達はここから参殿した。午前10時
から午後3時の勤めで「牛車の宣旨」を賜った貴族に
限り門を乗り物で通過して御車寄まで来た

新御車寄
「しんみくるまよせ」と云って「おくるまよせ」
とは違う。天皇陛下が馬車や自動車で乗り降りする
玄関である。大正天皇からこちらを利用。

月華門
回廊の西門にある。本来はご即位、立后、立太子
その他の厳儀に開いたが今は常時開かれている

承明門
この奥に見えるのは紫宸殿、正殿である。

建春門
東側に有り唐破風の屋根で、勅使等の出入り
に用いられたが明治以来は皇后陛下や皇太子殿下
の御門とされ外国の首相にも用いる。

紫宸殿
御所の正殿で即位礼や節会等の厳儀を行なう。
即位礼は大極殿や太政官で行なわれていたが再々
の焼失により1521年からここで行なわれるように
なる。木は左近の桜である。

清涼殿
寝殿造りで宇多天皇から日常の御殿となった
といわれる。紫宸殿と共に由緒ある建物である。

春興殿
大正天皇の即位礼に建てられた。三種の
新器を奉安し、賢所大前の儀が行なわれた。

小御所
主に皇太子の元服式や立太子礼・幕府の
使者や大名の拝謁に使われる。慶応3年の王政復古
の小御所会議があった所。昭和29年焼失33年復元。

御池庭
小御所の前にある庭。回遊式庭園で前面に
州浜を控え、右手には弧を描いた欅橋が美しかった。

蹴鞠の庭
小御所の隣りに位置する東庭で、現在でも国賓などが
御所をご覧の時に蹴鞠が行われる。

御学問所
小御所と並んで東面する。室町時代の学問所は
清涼殿の一角にあったが家康の慶長の御造営
からこちらとなる。

御常御殿
天皇のお住まいで、平安内裏は仁寿殿があったが
以後長く清涼殿が当てられた。ここは室町時代から
で紫宸殿よりも広く大小15室ある。

御三間
御常御殿の西にある。寛永の御造営に別棟となる。
三つの間は同時に使用される。涅槃会、茅輪、七夕、
御目出度事御盃などが行なわれる。

建礼門
六つの門の内、正門である。天皇陛下のみ
が用いられるが外国の元首もお入りになる。

建礼門屋根
御所の中に入って裏側から見たもの。門が開くと
承明門と奥に紫宸殿を見通せる。

清所門
見学コースを終えるとこの門から外に出る。
御台所御門ともいわれ、御所の勝手口の通用門。
皇子女の参内初めに用いられた。

蛤御門
1864年禁門の変はこの門の近くで起きた。新在家門
と言われていたが1708年宝永の大火で閉じていた
門が焼けて口開き 蛤のようで名が付いた。

築地塀
御所の四方を囲んでいて拝観申請手続きを行なわ
ないと入れない。右端は建礼門正門で左手の奥はに
蛤御門がある。拝観入口は角を右に曲がり中ほどに
ある。ここは御所の南側になる。

清水家の大椋
蛤御門を入った所にある大椋の木が目を引く。
公家の清水谷家跡地の椋の木は樹齢300年、
蛤御門の変で長州藩士来島又兵衛が木の近くで
戦死したと伝えられる。右手途中にあるのが
建礼門の正門。