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湊川神社(楠公さん)     神戸市中央区  JR神戸駅歩3分

南河内産まれの楠木正成は1331年後醍醐天皇の命で鎌倉幕府倒幕の兵をあげ、執権北条氏の大軍と戦って勝利し 天皇は北条氏を倒して武家政治を廃し「建武の中興」と云われる天皇による政治が行なわれる事になる。しかし九州から足利尊氏が攻上って来たので迎え撃つ為桜井之駅で同道していた息子正行と親子別れを行い 後事を息子に託す。正成は攻めてくる足利軍とこの地で戦ったが 多勢に敵わず弟と刺し違えて自刃する。1336年5月25日の事であった。のちに幕末から明治にかけて遺徳をおまつりしたいと運動が起こり明治2年に 戦死した場所に境内地が決定、明治5年5月24日湊川神社が創建された。(公式サイト)    04.12.05

正門
多聞通りに面して建っている。↓下の御墓所は門を
入ってすぐ右手にある。

参道と鳥居
初めて参拝した。思っていたより規模が大きく結婚式
も出来る。正面奥は拝殿。

大楠公御墓所入口の門
墓所は入って左奥にある。維新の時は勤皇思想の
志士達の精神的な支えとなる。日本史上に与えた
影響は大きい。

墓所
幕末は墓前にぬかずく志士が多く訪れた。龍馬・松蔭
隆盛・伊藤博文等が報国の至誠を誓い 国事に
奔走した。

光圀公銅像
水戸黄門は碑石を建て手厚く敬った。それが幕末
勤皇思想の発展を助ける。

楠本稲荷神社
参道の途中右手にある。

手水舎
新しいもののようだった。

大燈篭
拝殿階段下の両側にそびえ立っている。

拝殿
戦災で焼失後昭和27年に復興新築、鉄筋
コンクリート造り。

本殿
右は祈祷殿・左は拝殿の屋根で、その間が本殿。
←左の画像からだと後ろに本殿がある。

祈祷殿
拝殿の右手にある。

菊水天満神社
祈祷殿の右にある。燈篭・狛犬をみた後拝礼した。

天満神社本殿
拝礼を済ませて本殿を写す。中には入れない。

遥拝所
おもうに京都御所に向かって拝礼したのだろうか?

桜井之駅跡(楠公さん)    大阪府三島郡   阪急水無瀬歩2分
楠木正成公親子が別れた場所で「あおば茂れる桜井の・・・」と唱歌に歌われた所。父正成は息子正行を呼び寄せ後事を託し湊川の合戦に迎う。 正行は千早赤坂村に戻り成長、やがて22歳の時に後醍醐天皇を守り四条畷にて戦死する。ここは西国街道に面して西は神戸方面に通じ また淀川を渡ると南河内に帰ることができる分岐地点であった。今は広場になっているが現在ここにJR新駅の計画があり、いずれ碑のみになるだろう。

石碑
なぜか京都側の細い入口に建っていた。

手水舎
右手に工事の方が整地をし、いずれ取り壊される。


「楠公父子訣別之所」とあり 乃木稀典の銘が
刻まれている。

親子別れの碑
紀元2600年記念に作られた。下の字は「滅私奉公」と
刻まれる。